無無明尽
今日は芸術のことについて考えたこと、それを通して制作した作品のことについて記録です。
大乗仏教の真髄である般若波羅蜜多心経には『無無明 亦無無明尽』という言葉があります。私はこれを『自分本位な行いは尽きない』という意味で、肯定的に解釈しています。
なぜこんな話になったかというと、つい最近の制作活動で、自分の中で『芸術』をしっかりと定義し、制作を行わなければならない場面にあい、その時に般若心経の一説を思い出したからです。
結局自分の中で『芸術』とは、第一人者にとってはあくまで何かの具現であり、伝達のための表現ではない場合を指し、第三者にとっては解釈の自由を許された文化と定義しました。
クラシックや絵画を見聞きし、うんうんそうだなこんなことで悩んでいられない!がんばらなきゃ!ということを皆同じく感じたりはしません。芸術は確立した何かを伝えることを目的としたものではなく、作品自体が当人の目的だと考えられます。ツールとしての機能が必ずしも与えられるものではないと言えます。
上記のように芸術を定義し、自分がつくった作品が先の写真です。前置きとしては、関口雄揮記念美術館前庭で、有志で展覧会を開催しました。(7/20〜8/4まで)題は『13の解釈によるインスタレーション展』です。それぞれが関口雄揮さんの日本画をみて感じたものを具現化しています。
私を除く12人の方が関口雄揮さんの日本画から感じ取って作った作品の素材で、額縁を作ったのが私の作品です。
題は『無無明尽』なのですが、カタチ自体は『色即是空』です。
仏教用語で『色』と『空』とは簡単に言うと、カタチと概念です。この作品でいう色とはそれぞれの素材のことで、額縁をつくっています。空とは関口雄揮さんから感じた何かしらの概念で額縁に収まっています。もちろん概念なので見えません。
この二項がそろって初めて作品としての意味が生まれます。関口雄揮さんの生み出した芸術を、私を除く12人は自由な解釈をし、多岐にわたる素材を用いて具現化しました。
つまりその素材の集合体であるこの作品は、作品自体のカタチは色即是空と名付けることができますが、意味・具現化した概念は『自由な解釈』そのものです。
なので芸術と相対したときの『行為』を具現化したものと言えます、その行為は自分本位であるがゆえに産まれるものであり、それこそが『無無明 亦無無明尽』だと考えます。
従って、行為の具現であるこの作品の題は『無無明尽』です。
ちなみに私は無宗教ですが、人の救いとなっている宗教からは、いつも面白い概念を学べるので好きです。
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